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概要

kawanishivol88_1510

3●八角円堂●八角堂跡読売ランド前生 田ユーコープ寺尾台団地寺尾台団地●●●ユーコープ●日本女子大附高日本女子大附高寺尾台住宅入口寺尾台住宅入口栗谷入口西生田西生田生田生田菅馬場菅馬場寺尾台寺尾台津久井街道横から見た八角堂跡基壇の建立碑 読売ランド前駅から徒歩15分の高台にある寺尾台第二公園の一角に、八角形をした石積の遺跡がある。同団地の造成に先駆けて行った遺跡発掘調査で見つかった、ある歴史的建築物の基壇を復元したものだ。昭和26年から三度にわたって行われた発掘調査では、直径約9メートルの八角形をした基壇(建物の基礎部分)が発見されたが、基壇は、深い竪穴の内部にローム土と黒色土で交互に詰め固められており、こうした入念な基礎工事はその上に重い瓦葺きの建築物があったことを物語っているという。 ではこの基壇の上には、一体どんな建物が建っていたのだろう。八角形の建築物は建築学上「八角円堂」と呼ばれ、現存するものとしては法隆寺の夢殿が有名だ。ここ寺尾台の復元基壇の建立碑には「東日本では数少ない八角形の仏堂の跡で、栄山寺八角堂(奈良県五條市にあり八角堂は国宝)と同じ規模だと思われる」と書かれている。 実は基壇が発見されたのは、ここから13.5メートルほど高い山林の中であった。周辺に付属の建物を伴っていなかったことから、当初、八角堂は供養堂の一種ではないかと考えられていた。だが最近では、例えば武蔵国橘樹郡の郡寺といった公的性格を持つ建物ではないかとの説も出ている。その建立時期については、屋根に葺かれた瓦の文様が「剣菱文様蓮華文(けんびしもんようれんげもん)」という特徴的な軒丸瓦であることから、これまでは平安時代初期と考えられていたが近年、ここから直線距離にして約5キロ離れた稲城市大丸の奈良時代の瓦窯跡から、同八角堂のものと思われる丸瓦を焼いた窯が発掘された。これにより、同八角堂は8世紀の中頃に建てられたものではないかとも考えられている。 八角堂跡のある公園からは、雑木林の向こうに生田や菅の住宅街、その先には川崎街道に沿うビル群が見渡せる。秋の高く澄み渡った空の下、瓦を運び丘を登ってくる万葉人たちの姿が思い浮かんだ。地域を歩いて寺尾台の丘上に建つ法隆寺夢殿のような八角堂公園からの眺め寺尾台団地内八角堂跡